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父母の足跡、今も胸に 奄美市名瀬の福田さん=旧満州の郵政儲金簿を保管

「戦争だけは絶対にしてはいけない。この儲金(ちょきん)簿を目にすると、そういう気持ちが思い起こされる。自分にとっての戦争の記憶であり、宝物のようなもの」―。旧満州(中国東北部)で生まれ、戦後、家族と共に日本へ引き揚げた福田満司さん(81)=鹿児島県奄美市名瀬=が大切に保管しているのは、奉天郵政管理局発行の「郵政儲金簿」。引き揚げ時に両親が税関へ預けたもので、約30年前に手続きを行い返還を受けた。「他に同じような方がいれば、返還手続きができることを伝えたい」と話す。

両親の足跡が残る「郵政儲金簿」を手にする福田満司さん=1月8日、奄美市名瀬の福田さん自宅前

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福田さんは1942(昭和17)年、旧満州の奉天市生まれ。第2次世界大戦後、船で日本へ引き揚げ、5歳の時に父母の故郷である奄美市笠利町用安へ移った。当時、奄美は米軍占領下。福田さんは「貧乏のどん底で、学校から帰ると毎日、ヤギの餌取りや畑仕事など家の手伝いに追われた」と振り返る。

自身は、満州での暮らしや奄美に至るまでの記憶はほとんどなく、両親から満州でのことを聞いたこともなかったと話す福田さん。約30年前、南海日日新聞の記事で税関が海外引き揚げ者から預かった証券類を返還していることを知り門司税関へ問い合わせ、横浜税関より返還を受けた。

儲金簿には5円、10円など1回ごとの入金額が記され、こまめに預金されていたことが分かる。「父は『戦争にさえ負けなければこんな貧乏しなかったのに』と繰り返し口にしていた。儲金簿を初めて見たとき、父の思いや言葉の意味を実感した」とかみしめた。

政府は1932年から45年まで、疲弊した農村経済の立て直しや食糧増産を目的に満州農業移民事業を推し進めた。奄美群島からの移住者も多く、終戦時の奄美全体の満州在留戸数は約1500戸と推測されている。広大な満州での生活を夢見た人々の思いは太平洋戦争の敗戦で打ち砕かれ、大半が裸同然で古里を目指し引き揚げた。

連合国軍総司令部(GHQ)はインフレを警戒し、引き揚げ者に対し一定額以上の通貨や証券の持ち込みを禁止。さらに米軍占領下の奄美への渡航も許されず、鹿児島市の旧陸軍兵舎に収容され、その後県の指導で口永良部島や田代町(現肝属郡錦江町)へ移った。

全国の税関が引き揚げ者から預かった証券類は約135万件。自治体などを通じ返還を進めるが、2022年末までに86万件以上が未返還となっている。税関は「返還請求は家族でも可能。心当たりがあれば、気軽に問い合わせを」と呼び掛けている。

問い合わせは、電話099(260)3125鹿児島税関支署へ。

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1946年(昭和21年)11月1日に奄美大島で創刊された奄美群島を主要な発行エリアとする新聞。群島民挙げて参加した日本復帰運動をリードし、これまでにシマの文化向上・発展のための情報を伝えてきた。
現在も奄美群島の喜界島、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の8島を発行対象とし、その地域のニュース・生活情報を提供。現在、奄美出身者向けに奄美のニュース(本紙掲載)を月1回コンパクトにまとめた情報紙、「月刊・奄美」も 発行している。

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