奄美大島と十島村出身の両親を持つ映像クリエイターの伊原亮さん
(伊原亮さん)「(Q.この大島紬はご自身のですか?)これはそうですね、もともと父のなんですけど、最近譲り受けまして。(Q.お父様の代から代々?)そうですね、僕も何かその最近知ったんですけど、大島紬って、親子3代で着るみたいなことを言われているらしくて、父から譲り受けて僕も子どもに譲りたいなって思ってます」
伊原亮さん、鹿児島市出身の41歳です。鹿児島大学を卒業後、福岡の企業に就職。その後、仕事のかたわら、CG=コンピューターグラフィックやプログラミングなどを学びました。そして…。2018年には、こちらの映像で日本最大の広告賞「ACCTOKYOCREATIVITYAWARDS」のクリエイティブイノベーション部門でグランプリを受賞しました。現在は、東京を中心にテレビCMやプロモーションビデオなどの映像を制作するクリエイティブディレクターとして活動しています。
また、MR=複合現実と呼ばれる現実の世界に3Dのデータを映し出す作品の企画制作なども手掛けており、幅広い分野で活躍しています。そんな伊原さんは十島村の中之島出身の父と、奄美大島出身の母のもとに生まれました。父・幸男さんは大島紬職人で、74歳になった今も、反物を織り続けています。伊原さんが身に着けている大島紬は母・ゆみ子さんの手作りだそうです。
(伊原亮さん)「小学校の夏休みの交互に、小学校3年生は奄美大島、4年生は中之島、5年生は奄美大島っていうふうに行っていたので/(Q.フェリーとしまに乗って?)としま丸に乗って」「(Q.家の中というのは奄美色は強かったんじゃないですか?)ところどころに思い返せば、これは奄美大島のものなんだとか、例えば出てくるその食事とか、なんか豚足が出てきたりとか、なんかおやつとかも『がじゃまめ』っていう黒糖とピーナッツを混ぜたような、ああいうのがおかしが出てきたりとか、なんか、あとあとこれは、実は奄美の文化のものなんだっていうのは出てますね」
鹿児島市で育ちながらも奄美や十島村の文化に囲まれ成長したと話す伊原さん。幼い頃に見た島の景色やまちの雰囲気は映像の仕事にも生かされているといいます。
(伊原亮さん)「のどかな空気感だったりとか、なんかそういう鮮やかな色づかいだったりとか、何かそういうところはやはり小さい頃に擦り込まれてるもので、何かそういう空気感を出したいっていうときは、何かそういう幼い頃の記憶をちょっと掘り起こしてそういうところにちょっとエッセンスを注いだりとか、そういうことは今でもしてると思います」
自分のルーツである奄美を子どもにも引継ぎたい。そんな思いを込め、4歳の長男には沖縄や奄美などで「理想郷」という意味を持つニライカナイから取って「虹來」と名づけました。
(伊原亮さん)「その名前を聞かれるたびに、やっぱり奄美大島っていうところは出てくるので、息子にも思い出してもらえるきっかけになると思うので」
普段は東京で活動する伊原さんですが、鹿児島での活動も積極的に行っていて、今年5月にオープンした鹿児島銀行の本店ビル「よかど鹿児島」のエントランスの空間映像を担当。現在は、徳之島の天城町のPR映像を制作中です。「クリエイティブで地域活性」をテーマに東京で得た学びを鹿児島に還元したいと話します。
(伊原亮さん)「世界自然遺産が延期になったりとか奄美大島もですけど、徳之島のトライアスロンが延期になったりとか、いろんなそのイベントが中止もしくは延期になって、すごく町の中の士気っていうのも下がったと思うんですね/で、ぼくは自分の仕事、クリエイティブっていう側面から、そういうところをもっとそれが日本から世界とかに広まるような、手助けといいますかお手伝いができたらなと思ってます」