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地域のシンボル、煙突解体へ 喜界町旧大和製糖

鹿児島県喜界町手久津久にある旧大和製糖工場の煙突が、老朽化のため解体されることが決まった。煙突は1961(昭和36)年ごろ建設され、半世紀以上にわたって喜界島のサトウキビ産業を見守ってきた地域のシンボル的存在で解体を惜しむ声も聞かれる。解体作業は今月7日から始まる予定。煙突を管理する生和糖業(田中睦生代表取締役社長、本社鹿児島市)は「思い出として、目に焼き付けてもらえれば」と語っている。

 煙突は高さ39.5メートル、最下部の直径は3.6メートルの鉄筋コンクリート製。関係者によると、1961年に操業を開始した喜界島製糖が建設したもので、その後、同社の設備を活用して大和製糖が63年に会社を設立。大和製糖は66年に生和糖業と合併している。

 生和糖業の肥後剛工場長は「煙突は漁場からの目印や観光資源として、また大和製糖関係者からの要望もあり、工場がなくなった後も煙突のみを残したと聞いている」と語る。

 東日本大震災を機に、生和糖業が耐震調査をしたところ、老朽化により倒壊の危険性があることが判明。島の産業を支えてきた建造物として保存方法などを模索していたが、2018年9月の台風24号で煙突の最上部が欠損した。欠損部は徐々に広がっており、人的被害が出る前に早急な解体が必要と判断した。

 旧大和製糖で分析技師として働いていた上嘉鉄の生田英一さん(74)は「高校を卒業してすぐに大和製糖に就職した。当時社員は50人くらいだったと思う。四角い袋に黒糖を流し込み整形していたのを覚えている。通るたびに仕事を始めた頃のことを思い出すが、解体されるのはやっぱり寂しい」と語っていた。

 住民からも解体を惜しむ声があり、生和糖業の肥後工場長は「問い合わせも何件かあり、関心の高さに驚いている。煙突を残せるのであれば残したい気持ちもあるが、安全には代えられないと解体に踏み切った。思い出として、目に焼き付けてもらえたらうれしい」と話す。

 煙突の下部の耐火れんがは既に撤去が完了しており、7日から本体の解体が始まる予定。解体後には、写真パネルでの展示や記念碑などを検討している。

南海日日新聞〔写真〕解体することが決まった旧大和製糖の煙突=23日、喜界町手久津久

南海日日新聞〔写真〕解体することが決まった旧大和製糖の煙突=23日、喜界町手久津久

南海日日新聞〔写真〕大和製糖工場の様子。奥に煙突が見える(生和糖業50周年記念誌より、撮影日は不明)

南海日日新聞〔写真〕大和製糖工場の様子。奥に煙突が見える(生和糖業50周年記念誌より、撮影日は不明)


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1946年(昭和21年)11月1日に奄美大島で創刊された奄美群島を主要な発行エリアとする新聞。群島民挙げて参加した日本復帰運動をリードし、これまでにシマの文化向上・発展のための情報を伝えてきた。
現在も奄美群島の喜界島、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の8島を発行対象とし、その地域のニュース・生活情報を提供。現在、奄美出身者向けに奄美のニュース(本紙掲載)を月1回コンパクトにまとめた情報紙、「月刊・奄美」も 発行している。

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