奄美市名瀬の弥生焼酎醸造所(川崎洋之代表社員)は今年、創業100年を迎えた。奄美大島では最も古い蔵元。旧名瀬市名誉市民の川崎タミが1922(大正11)年に創業した。1世紀続く背景には、奄美黒糖焼酎をサワーにする新たな飲み方の提供や生産者自ら消費地に出向いて愛飲者を増やすなど地道な努力があった。今後は、海外進出を視野に黒糖焼酎を使ったスピリッツ類(アルコール度数の高い蒸留酒)の製造販売も計画中だ。
創業者の川崎タミは旧笠利町手花部出身。10歳で名瀬に移住。その後、大島紬の技術を身に付けた。22~23歳ごろに与論島に渡り、織り技術者の養成と紬の技術普及に努め、同島での紬業の基盤をつくった。
名瀬でも紬工場を経営していたが、22年2月、名瀬・唐浜で焼酎の製造を始めた。「唐浜ゼー(焼酎)」の愛称で親しまれ、日本復帰後の55年には唐浜酒造所を合資会社「弥生焼酎醸造所」に改称。併せて紬仲継業と酒類の卸小売りを営む合資会社「川崎商店」を設立した。
タミの業績は、事業と並行して婦人会の育成強化と社会奉仕に貢献したこと。市内小中高校の施設整備や更生保護事業、心身障がい児施設などに献金。名瀬大火(55年)や古仁屋大火(58年)では率先して多額の義援金を送った。59年県民表彰、63年紺綬褒章、65年名瀬市名誉市民。
現在、醸造所の代表を務める洋之氏(49)は4代目。創業時から継続しているのは株式会社にすることなく「合資会社」(有限責任社員と無限責任社員で構成)を貫いていること。34年、タミの夫は多額の借金を抱えて死去したが、タミは身を粉にして働き、完済した。その強固な責任感は「無限責任社員が会社すべての責任を負う」合資会社を100年間維持することで継承されている。
創業の精神を保ちつつ、新たな試みも。全国を回って黒糖焼酎に対する意見を聞き、可能性を探った。産地(製造者)が直接消費者と向き合う産直の試み。2015年ごろ、東京の飲食店でこんな声を聞いた。「まんこいをレモンサワーにするとおいしい」。「まんこい」は「彌生」と共に同社の主力商品。民放の人気番組でも取り上げられ、さらにSNS(インターネット交流サイト)などで拡散。18年から業績も上昇に転じた。
消費者は「焼酎」や「黒糖焼酎」というカテゴリーよりも率直に「おいしい飲み物」そのものに関心が強いことも実感した。杜氏でもある洋之代表。創業100年を機に「スピリッツ免許」も習得。現在、海外を視野に「タンカンの香りのする黒糖焼酎を使ったスピリッツ類の製造を手掛ける。「来年2月ごろにも出荷したい」と話す。
2021酒造年度(21年7月~22年6月)の奄美黒糖焼酎の出荷量は6270キロリットルで前年度比11・5%(812キロリットル)減少した。4年連続の減。新型コロナウイルスの影響で業務用を中心に需要が伸び悩んでいる。
黒糖焼酎を取り巻く環境は楽観を許さないが、洋之代表は「飲み方の提案による味の訴求と、知名度の向上でまだまだ伸びしろがあるのが奄美黒糖焼酎」と話し、新たな可能性を模索する。
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