沖永良部

  1. きれいなユリの花、来年も 和泊町=笠石海浜公園で恒例の球根掘り取り

    鹿児島県和泊町(沖永良部島)の笠石海浜公園で7月2日、恒例のユリ球根掘り取り作業があった。和泊町花と緑のまちづくり推進協議会(森富隆会長)主催で、同委員と、町内の各種団体、スポーツ少年団、中学、高校の部活動などで構成するえらぶゆりサポーター…

  2. 駆除して!食べて!活用を 知名町大山=「外来植物展」イベント

    外来植物について学ぶ「駆除して!食べて!染めて!外来植物展」(環境省徳之島管理官事務所主催)は2月2…

  3. 「聞く話す」機会が鍵 沖永良部島=シマムニ継承へ、研究者報告

    沖永良部島方言「シマムニ」を研究する日本学術振興会特別研究員で東京外国語大学の横山晶子さんと神田外語…

  4. 昔ながらの黒糖作り 沖永良部島・大城小=サタグルマ体験も

    沖永良部島の和泊町にある大城小学校(野口浩二校長、児童43人)で1月26日、伝統の黒糖作り体験があっ…

  5. テーマは「境界上の島」沖永良部=島嶼学会2022大会開幕

    日本島嶼(とうしょ)学会(可知直毅会長)の2022年次沖永良部島大会が10月22日、沖永良部島にある…

  6. 生育順調、豊作を期待 沖永良部マンゴー、出荷準備進む

  7. 沖永良部島うとぅるしゃ100キロマラソン

    沖永良部島うとぅるしゃ100キロマラソン

  8. 【予告】MBCラジオ「あまみじかん」第68回は…

【特集】世界自然遺産登録

特集「世界自然遺産登録を目指して」

【特集】奄美群島日本復帰を振り返る

【特集】奄美群島日本復帰

奄美群島は太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から、アメリカ軍の統治下におかれました。
本土との間で人や物の移動が制限され物資が不足する中、住民による日本復帰運動が広がり署名運動などが行われました。
その島々は、66年前の1953年(昭和28年)12月25日に念願の日本復帰を果たした。
奄美の人々にとって特別な意味を持つこの日を地域のメディアはどのように報じてきたのか・・・。
当時の様子を南日本放送の前進、ラジオ南日本の放送音声と南海日日新聞の紙面で振り返ります。

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