奄美市出身の歌手・城南海さん
今は東京を拠点に活動していますが、奄美の民謡・シマ唄から学んだことが原点にあるといいます。
(城南海さん)
「シマ唄もシマの言葉でおじいちゃんおばあちゃんや先人たちが紡いできた大事なものじゃないですか。やっぱりそういうものを伝えたいっていう気持ちが今歌っているのはJpopですけど、そこに言葉を伝える、曲のメロディーやメッセージを伝えるっということに活きていると思います。」
城南海さん、30歳。奄美市笠利町生まれで、中学2年生の時に家族で鹿児島市に移りました。そして、鹿児島市内の公園でシマ唄を歌っているところをスカウトされ、2009年に「アイツムギ」でメジャーデビューしました。デビュー後はシマ唄をルーツにした高い歌唱力をいかして活躍し、今では歌手としてだけでなく、作詞、作曲やミュージカルへの出演など活動の幅を広げています。
シマ唄の独特なこぶしや歌唱法が印象的な城さんですが、シマ唄を歌い始めたのは、奄美を離れた後だったといいます。
(城南海さん)
「中学生の時、鹿児島市に転校してきて、しばらくは奄美よりも都会だから楽しくて、舞い上がっていたんですけど、2.3年経ってからふと、奄美が恋しくなって、お兄ちゃんのシマ唄を聴いて、ああ、シマ唄ってこんなに素敵な歌だったんだ、って気づいて。シマの人たちが集まってシマ唄を歌うウタアシビっていう場に積極的に参加をして皆さんの歌を何度も聞いて覚えていきました。」
シマ唄には楽譜がなく、別の歌い手が歌う様子を見て、聴いて覚えます。こうした伝え方を通して、城さんはシマ唄だけではなく、奄美の歴史・文化を学んだといいます。
(城南海さん)
「見て聴いて覚えるというのが本来の伝え方、伝わり方だと思うしーこういう歴史がある、こういう集落でこういう出来事があったからこういう歌詞があるんだよっていうのを唄だけでなく話を含めてその場で聞いて、その曲の中に宿っている空気感とかそういうものを聴いて真似して、歌うっていうのが楽譜だとできないので、民謡はどこもそう思うんですけど、奄美では特に思いました。」
歌が歌い継がれていく瞬間は、城さん自身も経験したことがあるといいます。2013年に発売した8枚目のシングル「夢待列車」。出会いと別れを繰り返しながらそれぞれの夢へと踏み出していく決意をテーマにしたこの曲は、卒業や旅立ちの曲として支持を広げました。龍郷町の赤徳小中学校では、数年前から合唱部の演奏会や卒業式などで歌われ、先輩から後輩へと歌い継がれる曲になっています。
(城南海さん)
「子供たちの中にもなにか残ってくれていたらなと思って歌っていたんですが、その曲が今では奄美の卒業式でも歌ってくれていて本当にすごくうれしくて自分なりに奄美の子供たちに何かを残せる一曲になったのかなと感じている。」
こうした縁もあり、去年、ふるさとで開いたデビュー10周年記念コンサートには、赤徳小中学校の子供たちを招待しました。
(城南海さん)
「私は奄美を出てシマ唄のことも知ったし、歴史もあまり知らなかったし、言葉も奄美を出てから。あ、当たり前じゃないんだ、あの海の青さも当たり前じゃないんだとか気づくことがたくさんあったので。自分なりにシマのために何かをするっていうのが何か1つでもあるとなんか心の支えになるのかなって」
(城南海さん)
「今シマ唄を歌う人たち、子供たちも増えていますけどそうやって繋いでいくっていうのが奄美のみんなで協力して乗り越えてきた中で紡がれてきたもの、残ってきたものだと思うので、そういうのを私たちも何らかの形で残していかないとなって使命もあると思うんですけど、みんなが繋いで伝わってきたものが今、ある。今、このシマの自然がそこにあるということが大事なんだと思います。」