名瀬港

  1. クルーズ船寄港、最多水準 再開から半年、奄美ファン獲得に注力を

    国際クルーズ船の日本寄港が今年3月に再開され、奄美群島にも続々と国内外の船が訪れている。再開後、9月24日までに群島各港で計9隻、17回の寄港があり来島者は延べ5000人近くに上る。10月には過去最大となる9万トン級の船が奄美市名瀬港へ入港…

  2. 紙テープ復活願う 名瀬港見送り規制=安全確保との両立再考を

    のぼりを掲げ校歌を歌い、惜別の思いを交わす―。3月末、鹿児島県奄美市の名瀬港では恒例の風景が広がって…

  3. 旅立ちの春、別れ惜しむ 名瀬港、コロナ禍で紙テープなく

    旅立ちの春を迎え、鹿児島県奄美市の名瀬港では連日、転勤や進学、就職で島を離れる恩師や仲間を見送る光景…

  4. 名瀬港 異動する教職員との別れ 新型コロナの影響も

    奄美市の名瀬港では、異動する教職員の見送りがピークをむかえていますが、今年は新型コロナウイル…

  5. 1978年:旅立ちの風景「名瀬港」

    1978年:旅立ちの風景「名瀬港」

    奄美大島・昭和53年3月この年、鹿児島県から1万1,300人が県外就職…

  6. 1977年:「旅立つ若者たち」奄美から

    1977年:「旅立つ若者たち」奄美・赤木名集落から

【特集】世界自然遺産登録

特集「世界自然遺産登録を目指して」

【特集】奄美群島日本復帰を振り返る

【特集】奄美群島日本復帰

奄美群島は太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から、アメリカ軍の統治下におかれました。
本土との間で人や物の移動が制限され物資が不足する中、住民による日本復帰運動が広がり署名運動などが行われました。
その島々は、66年前の1953年(昭和28年)12月25日に念願の日本復帰を果たした。
奄美の人々にとって特別な意味を持つこの日を地域のメディアはどのように報じてきたのか・・・。
当時の様子を南日本放送の前進、ラジオ南日本の放送音声と南海日日新聞の紙面で振り返ります。

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