奄美パークの園長・宮崎緑さん
(宮崎さん)「何より人情なんですね。奄美の島人たちの心意気というか。人間として大切なものを現代人が忘れさりかけているような。あるいは忘れてしまったような都会部などでは。そういう大切なものがここにはしっかりと残っているというのを発見してもうすっかり虜になりまして」
元ニュースキャスターで、千葉商科大学教授の宮崎緑さんです。奄美市笠利町に2001年オープンした、奄美の歴史や自然、文化を紹介する県の施設、「奄美パーク」の園長に就任し、今年で19年目です。
(宮崎さん)「知事から辞令をいただいて就任しまして後でよく見たらいつまでがないんです。いつからは書いてあるんですけどいつまでがなくて期限がないもんですからえっということになって分からないうちにズルズルときました」
宮崎さんと奄美とのつながりは1993年の屋久島の世界自然遺産登録以前にまでさかのぼります。当時林野庁の中央森林審議会の委員をしていて、登録に向け、屋久島の調査を続けているうちに、その南の島々にも興味を持ち始めたといいます。
(宮崎さん)「屋久島の世界遺産のために現地を調査したりいろいろな報告を書いたりした時に島伝いに調査をしていって島ごとにグラデーションで生態系は変わる文化は変わるライフスタイルは変わる非常に興味深い調査をさせてもらった。ついに奄美に到達して」
奄美の第一印象について人を超える大きな力を感じた
(宮崎さん)「スピリチュアルなどこにでも神様がいる。神様というのは宗教という意味ではなくて人知を超えた超自然の人間の力ではどうにも抗えないような大きなもの。それを身近に感じる島でした。人間が生物として自然の生態系に組み込まれているということをものすごく感じる島でした」
奄美パークの館長となり、奄美の島々を巡るうちに、宮崎さんはその多様性が、現在の国際社会のモデルになると感じています。
(宮崎さん)「たとえばありがとうという言葉ひとつとっても奄美大島では『ありがっさまりょうた』、喜界島では『うふくんでえた』。徳之島は『おぼらだれん』。沖永良部島は『みへえでろん』与論は『とうとがなし』ですから。ありがとうひとつでそれだけ違う。こういう多様性がありながら全体は奄美というひとつのハーモニー調和を保っている。今日の国際社会のモデルとしてすばらしいと思いませんか」
しかし、そうした多様性の一部が今、失われつつあるとして危機感を持っています。
(宮崎さん)「戦後民主主義教育の中で方言禁止ということでみんな標準語を教えてしまったので社会の中核の層が言葉ができないんですよね。まだここは長寿の島なのでお元気なおじいちゃんばあちゃんひいおじいちゃんひいおばあちゃんの世代がお孫さんたちに小さな子どもに世代を飛び越えて教えてくれるような余地が残っているので、その間に貴重な言葉をマスターして欲しいと思う」
来年夏の世界自然遺産登録を目指している奄美。奄美の文化と自然の価値を世界が見つめるきっかけになればと期待します。
(宮崎さん)「貴重なものがここにはあるんだということを世界中が知ってそれを守っていくにはどうしたらいいか。互いの文化を尊重しあうような風土というのができるもとの部分になれるのではないかと思うので世界遺産はおおいに期待している」
決して変えてはならないもの「歴史的にも地政学的にも奄美は薩摩と沖縄との間にあって大和んちゅでもうちなーんちゅでもない島んちゅとしての独特の文化・伝統を育んできた。その独特な部分というのが奄美の奄美らしいところでこれをなくしてはいけない」
奄美と屋久島を結ぶ「奄美と屋久島の間の交通手段がない。それぞれにすばらしい魅力を持っているところを簡単に往復して見比べられるような体験をしていただけるような仕組みがあるとありがたいなと思う。ありがっさまりょうた」