【特集】奄美群島日本復帰を振り返る(南海日日新聞×南日本放送)

大島高校生、初のデモ敢行 語り部 高校生の活動を伝える 大勝 方興さん【南海日日新聞】

奄美群島日本復帰60周年特集号

「大高生、初のデモ敢行 語り部 高校生の活動を伝える 大勝 方興さん」

南海日日新聞 2013年11月8日 付


大島高校生、初のデモ敢行 語り部 高校生の活動を伝える 大勝 方興さん【南海日日新聞】大勝 方興(おおかつ・ただおき)さん
徳之島町亀津出身。終戦まで中国で暮らす。旧制大島中学入学、新制大島高校卒。
在学中は自治会役員として復帰運動に参加。復帰後、神戸市の小学校教員に採用され、
小学校校長で退職。復帰の語り部として精力的に活動している。
冊子「思い出・・・米軍制下の奄美の暮らしと大高生の復帰運動」を発行。
神戸市灘区。86歳。


Q高校生が復帰運動に立ち上がった背景は。

「生活の苦しさに加え、進学の道が閉ざされたことが大きな理由だ。春休みが終わり、新しい学年が始まったときのこと。ある同級生の姿がない。聞くと、『密航して本土に行った』という。おカネと勇気がある人は密航した。国費留学制度もあったが、一部に限られていた」

Q復帰運動にどのような形で携わったのか。

「日本復帰協議会(復協)が最初に手掛けたのは署名運動だった。14歳以上の住民99.8%が署名した。署名は実に効果的だった。一人一人に会って意義を訴えなくてはいけないからだ。署名は1人で7部した。私たちは署名の点検をした。大変な作業だったが、『これで復帰が実現するんだ』と思えば、うれしくてしょうがなかった」

Q印象的な出来事、出会いは。

「熱風座の演劇『犬田布騒動記』を見て感動した。島の夜明けは米軍支配から解放されたときだと思った。中村安太郎さんは署名簿確認作業の後、にこにこしながら世界の話をしてくれた。泉芳朗を『復帰の父』と呼ぶなら、多くの人材を育てた中村安太郎は『復帰の母』を呼んでほしい」


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1946年(昭和21年)11月1日に奄美大島で創刊された奄美群島を主要な発行エリアとする新聞。群島民挙げて参加した日本復帰運動をリードし、これまでにシマの文化向上・発展のための情報を伝えてきた。
現在も奄美群島の喜界島、奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島、沖永良部島、与論島の8島を発行対象とし、その地域のニュース・生活情報を提供。現在、奄美出身者向けに奄美のニュース(本紙掲載)を月1回コンパクトにまとめた情報紙、「月刊・奄美」も 発行している。

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