伝統

  1. 幸輝心が初防衛  徳之島全島一闘牛大会=熱戦6分、3千人の観客沸く

    第38回徳之島全島一・軽量級優勝旗争奪戦(伊仙町闘牛協会東部支部主催)は6日、鹿児島県伊仙町目手久の徳之島なくさみ館で開かれた。会場満員の3千人を超える観客が来場。全7取組があり、メインイベントの全島一優勝旗争奪戦は王者「幸輝心」(亀津)が…

  2. 大島紬に理解深める 奄美高校=着付け教室、伝統柄も試着 

    鹿児島県奄美市名瀬の県立奄美高校(脇浩一校長、生徒352人)で2日、本場奄美大島紬の着付け教室があっ…

  3. 高校生が「みき」作り 奄美高校家政科=初の試み、伝統行事食継承へ

     鹿児島県立奄美高校(奄美市名瀬)の家政科で「食文化」を選択している3年生14人は9月24日、同校で…

  4. 八月踊り、にぎやかに 奄美市笠利町佐仁=繁栄祈り、男女で歌掛け

    旧暦8月のアラセツ(新節)を迎え、鹿児島県奄美市笠利町の佐仁集落で16日、伝統の八月踊りが行われた。…

  5. ススキ飾り、災い払う  龍郷町秋名・幾里=「シバサシ」、アラセツから7日目

    旧暦8月のアラセツ(新節)から数えて7日目に当たる15日は「シバサシ」の祭り日。鹿児島県の奄美群島に…

  6. 稲作文化継承へ 名瀬小湊地区=子ども会と町内会で田植え、共同作業に汗

  7. 棒踊り、勇壮に舞う 喜界町荒木、2年ぶり九月十九日祭り 

【特集】世界自然遺産登録

特集「世界自然遺産登録を目指して」

【特集】奄美群島日本復帰を振り返る

【特集】奄美群島日本復帰

奄美群島は太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から、アメリカ軍の統治下におかれました。
本土との間で人や物の移動が制限され物資が不足する中、住民による日本復帰運動が広がり署名運動などが行われました。
その島々は、66年前の1953年(昭和28年)12月25日に念願の日本復帰を果たした。
奄美の人々にとって特別な意味を持つこの日を地域のメディアはどのように報じてきたのか・・・。
当時の様子を南日本放送の前進、ラジオ南日本の放送音声と南海日日新聞の紙面で振り返ります。

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