12月25日は、67年前の1953年にアメリカ軍政府下におかれていた奄美群島が日本に復帰した日です。奄美市では、新型コロナの影響で、例年より規模を縮小して集会が開かれ、復帰の日を祝いました。
奄美市市街地が一望できる「おがみ山」では、およそ20人が集まり、復帰の日を祝いました。
奄美群島は戦後およそ8年間アメリカ軍政下におかれましたが、住民の復帰運動の末、1953年=昭和28年12月25日、日本復帰を果たした。
おがみ山には、日本復帰記念碑と復帰運動のリーダー・泉芳朗の銅像があり、参加者たちが花をささげました。
一方、例年は運動の中心地となった名瀬小学校の校庭で開かれる奄美市主催の集会は、新型コロナの影響で縮小され、市役所の会議室での開催となりました。
(金久中学校2年生 有田翔海さん)「いまの私たちは当時の人々の苦しみを体感することはできません。しかし、当時の人々の苦難とそのあとにやってきた喜びを想像することはできます」
今年の式典は新型コロナの影響で、若い世代はごく一部しか参加できませんでした。
奄美市の満進吾さん、87歳。高校生のころに、軍政府の命令で中止された集会で使われるはずだったプラカードを、「持ち帰る」という名目で掲げながら行進し、島民たちを奮起させたいわゆる「プラカード事件」など、復帰運動にかかわりました。満さんはそうした記憶の伝承の難しさを改めて感じているといいます。
(満進吾さん)「若い人たちをこういう場につれてきて語る、伝えていく」
コロナ禍での規模縮小もあり、どう語り継いでいくのか、改めて問われた67年目の復帰の日となりました。