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㈱しーま 編集部ライター 竹内聡

下戸口集落民族 灯り持ち/ゆりむん(漂流物)収集家。
造園の大学を卒業後、営業マンとして関東を奔走していたが、「結い」という呪いに導かれて移住。地元ラジオ局で島の酸いも甘いも辛いも知る。
現在は黒糖焼酎の酒造会社に携わりつつ、観葉植物制作、イラストレーション、ライティング、観光ガイド等なんでもやる『branch design TOKONOMA』を設立。
自らを表現しつつ島をデザインで仕立てる、奄美で最もこだわりのない制作者。

  1. 旧盆~冥界に一番近い島の、美しく温かい三日間~

    「バアバ、おかえり」奄美市名瀬に住むヤスダ家。今年もまた、提灯やお花などを荷台に詰めて家族みんなで車に乗り込み、仏さんをお迎えに行きます。お盆の初日である「迎え盆」は旧暦七月十三日。今では本土のほとんどが新暦でお…

【特集】世界自然遺産登録

特集「世界自然遺産登録を目指して」

【特集】奄美群島日本復帰を振り返る

【特集】奄美群島日本復帰

奄美群島は太平洋戦争後の1946年(昭和21年)から、アメリカ軍の統治下におかれました。
本土との間で人や物の移動が制限され物資が不足する中、住民による日本復帰運動が広がり署名運動などが行われました。
その島々は、66年前の1953年(昭和28年)12月25日に念願の日本復帰を果たした。
奄美の人々にとって特別な意味を持つこの日を地域のメディアはどのように報じてきたのか・・・。
当時の様子を南日本放送の前進、ラジオ南日本の放送音声と南海日日新聞の紙面で振り返ります。

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