元プロ野球選手で全国の島々で少年野球教室する村田兆治さん
広島県出身の元プロ野球選手村田兆治さん70歳。
1967年に東京オリオンズ(現ロッテ)に入団し、個性的な「まさかり投法」で活躍。肘のけがも乗り越えて40歳まで活躍し、2005年には野球殿堂入りしました。
そんな村田さんが、引退後、力を入れてきたのが全国の島々での野球少年の指導です
(村田兆治さん)「新潟県に粟島という島があるんですよ。粟島の方から手紙をもらって『村田兆治にあいたい』という『夢をかなえてください』ってきたの。島民500人、野球部は小学1年から6年まで13人。将来プロ野球選手になりたい人は誰もいない。ただあいたい。テレビをみるのを実際にみるとすごいんだねって感動してくれるです」
この体験をきっかけに全国の島を訪ねて少年野球教室を開くようになったという村田さん。奄美の島々も度々訪れているといいます。
(村田兆治さん)「30年くらい、一つ一つ島を丁寧にまわって、奄美のほうは結構早かったですね。1日目は奄美大島で野球教室、あんな炎天下で投げたのは初めてっていうくらい暑かった。たまに生意気な子もいて、アウトコースにビシっと投げると空振りする。大人の愛情で、将来島から離れる子達にも厳しさも感じてもらいたいと思った」
そして、野球教室で奄美を訪れるうちにその魅力に触れるようになりました。
(村田兆治さん)「奄美は瀬戸内町の椿、鶏飯が美味しかったですね。(奄美)民謡もそうですけど、文化、あういうのはすごいんだよね、絆みたいなものをだよね。次は徳之島、沖永良部島。沖永良部島から与論島に向かう船からの西日がすごいきれいだった。自然に包まれて一体になる、ほんとに感動した」
その村田さんの提唱によって、全国の島々の野球少年が交流する全国離島交流中学生野球大会いわゆる「離島甲子園」が2004年に始まり、これまでに全国の島々で12回、開かれました。
(村田兆治さん)「島と島は交流はありそうでない。島と島でライバル意識があるから。スポーツ、野球を通して競いあうことでレベルが上がってきましたよ。離島甲子園をやっていると、交流ができるようになってきた。どうしたら島外から来た人たちをもてなしができるのかを考え協力する。勝てば心ひとつになって、親からありがとうございましたと言われるようになった」
今年、長崎県対馬で開かれた大会には、龍郷町のチームも参戦しました
(村田兆治さん)「以前野球教室で教えた子供たちから、みんな40歳くらいかな。町の職員とかになっていて、副市長に「子供たちに行かせてください」と直訴して。もう何十年もあとに、龍郷町の子供たちは離島甲子園に参加する。そいう繋がり、島の人たちはあたたかいよね」
村田さんは、野球を通じて子供たちの成長を願っています
(村田兆治さん)「ほめるのは入場行進。来たら、モモをしっかりとあげてねきれいにやるんですよ。考えたら、島で入場行進をする機会はない。一人でも二人でも多く参加して、元気になって、健康になってほしい、それぞれの道で成長を続けてほしい。」
(村田兆治さん)「鹿児島でも、屋久島や奄美大島でも世界遺産に登録されるんですよねそういうことは影響力があるから、日本に向けて、国外に向けて発信をする機会ですから。何でもチャレンジして成長していかないとね、奄美、(徳之島、与論)みんな大好きです」