奄美群島が戦後の米軍統治下から日本に復帰して今年で70年。復帰に至る歴史を後世に伝えようとする機運が高まる中、復帰から10年後に行われた記念行事の写真を大切に保管してきた人がいる。鹿児島市星ケ峯在住の前田増蔵さん(90)。1963年12月25日、宇検村の阿室小中学校校区内であった集会の様子を自身のカメラに収めていた。前田さんは「写真を通して一人でも多くの人が奄美の歴史に関心を持つきっかけになればいい」と話している。
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前田さんは中学校の社会科教諭として1961年度から5年間と、71年度から4年間、阿室小中学校で教壇に立った。
写真は最初の赴任時に撮影したもので計16枚。前田さんによると、記念行事当日は当時約250人いた児童生徒と教職員が国旗を手に学校に集まり、グラウンドを1周した後、校区内の屋鈍、阿室、平田を訪れた。各集落では地域住民が集会場に集まり、子どもたちも一緒になって「バンザイ、バンザイ」と喜びを分かち合った。
写真には子どもたちが校庭に整列し行列をつくって移動する姿などが収められ、この日の様子をうかがい知ることができる。
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前田さんは種子島出身。同じ離島だが、宇検村で見たその日の光景は「正直、異様だった」と振り返る。「学校でも各集落でも何度もバンザイをした記憶がある。みんな笑顔でうれしそうだった」
群島の日本復帰70年に際し、久しぶりにアルバムをめくったという前田さん。「子どもたちの多くはおなかをすかせていた。まだまだ貧しかった」と当時の様子を語った。今年は奄美の歴史を継承する上で重要な節目の年。だが「県本土では盛り上がりに欠ける」とも感じている。
前田さんは60年前の写真を見詰めながら「奄美の島々では戦争の前触れとも思われる日米合同の訓練が行われ、基地の拡充も進んでいると聞く」と語り、「戦争があったから奄美は日本から切り離された。いま一度歴史に学び、子どもたちにも平和の尊さを考えてほしい」と力を込めた。
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